懐かしのお弁当の思い出は母の優しさ
母のお弁当の思い出
おかずで埋まらない隙間を埋める茶色くて四角い物体。
初めて遭遇したときには、友達と恐る恐る匂いを嗅いだり、じーっと見て
これは一体なんなんだと・・・
羊羹。
そりゃ、甘くて■くて隙間を埋めるには好きなサイズに切れるし便利ですけど。
女子高生の弁当に羊羹て。
平成の始めのJKでもさすがに苦笑い。
帰宅してちょっとしたクレーム入れても
母はクスっと笑い、その後も隙間を埋めるこの方法は適用され続けた。
母曰く、
体育会系部活で、疲れている身体には甘いものが必要だから!
とのこと。
優しさに満ち溢れた笑顔で語っていた日を忘れられない。
ふりかけが無い時や
ゆで卵が入っているときには
そう。
お通夜のときに配られる
おきよめのお塩。
母は大事に取っておき、娘の弁当にふりかけ替わりに入れる癖がついた。
娘の弁当が終了しても、コレクションの癖は抜けず
最終的には沢山のおきよめ塩の封を開け、食塩の瓶ひと瓶分採取された。
朝の台所のいい香りや、蓋を開けるときのワクワク感は確かにステキな思い出だけど、この2点はステキというより、ある意味、大切な親子の会話の1軍として貢献してくれている。
私も娘の弁当に塩、入れてみようかな。
ネガティブキャンペーン
たまに陥る。
鬱がひどくなってしまうと開催されるネガティブキャンペーン。
このキャンペーン開催中は、まーひどい。
人に会いたくないのは当たり前。
ベッドから起きられず歩数計は2日で3ケタにも到達せず。
お風呂にも入らず、顔も洗わず。
かろうじて歯磨きだけはするけど鏡なんて見もしない。
子供のご飯もお金で解決。
子供たちはこれを病気だとは思っていないから心配なんてしてくれないし、それどころか、ただ怠け者スイッチが入った為体なふざけた母親だと言わんばかりに寄り付かない。
寄り付かないのは正解。
触らぬ神に祟りなし。
大人になるってなんだ?
鬱だから大人になれないとは言わない。
大人になれないのは自分のせいだと自覚はある。
「大人じゃない・・・」と一番自己嫌悪に陥るのは子供と喧嘩した後。
言わなきゃいいこと言ったり、子供より子供な言い訳してみたり、泣いたふりしてみたり。感情のコントロールができなくなる域までいくと、もっとひどい。
子供たちのほうが正論を発し始める。
この子供のほうが正論を発するときなんてホントに自分がボロ雑巾以下に感じる。でもその気持ちはたぶん隠せてる。
社会生活も、そりゃしてきている。
それなりに立場がある役職もこなしてきた。
でも、それが・・・自分のキャパ以上なんだろうな~と感じる。
こんなコドモ大人が大人の上に立ち続けることなんて無理に等しい。
それが鬱マシマシにさせてきたんじゃないかと自分に都合よく分析している。
世の中には、かっこよく歳をとっている人は沢山いて、そういう人をメディアで見ると羨ましくもあり、心のどこかで「この人だって家では闇があるんじゃないか?」と疑いの眼差しで見たり。
でも基本、キャンペーン中はそういう大人は眩しすぎて見れない。
子供の時の方が大人だった説
大人が大勢いる環境の中で育ったせいか、早熟で中学の頃は同級生の男女より大人びた考えだったと思う。そのせいで上から目線のような物言いでよく喧嘩した。
でもかなりポジティブでもあり、自分に正直で人生に期待も持っていた。
(今だって人生に期待が無いわけではない)
明るい未来に胸をふくらます、ごく一般的な昭和の乙女であったはず。
社交的で学校に知らない子がいないくらい男女の隔てなく友達が多く休日は、ほぼ友達と外出。
帰宅すれば家事を手伝い、知らない大人や近所の大人たちにも愛想ができた。
家では「女は男を立てる!」と仕込まれ父親には逆らったことがなかった。
夢と希望を抱えている常識的なオトナ子供であった。
これは今でも仲良くしている幼馴染に
「当時の手紙を読み返したら、あなたの考えが大人で驚いたんだよ。今読んでる自分と同じ目の高さで考えてたんだね」
と告白されたことがあるくらい。
勿論自分では自覚は無かったけど、子供のときのほうが大人びていたんだと思う。感情のコントロールもできてた気がするし。
キャンペーンは切り替えられる日は来る
ネガティブキャンペーンは始まる前触れも無いし、自分で期間を決めている訳でもないし、いつまで続いて、いつ終わるかわからず不安に潰されそうになる。
でも、
ネガティブキャンペーンはいつかは終わる。
終わるだけでなく、ポジティブキャンペーンに切り替わることもある。
それが美味しいお料理なのか、嬉しい一言なのか、気持ちにハマる歌なのか、美しいと感じる景色なのか、綺麗な空気なのか・・・きかっけは不明だけど、ある瞬間「あ。キャンペーン終わったな。ふっきれたんだな。」とアッサリ終わる。
自分が一番ビックリするほど、アッサリ終わる。
体も軽くなってベッドから無意識に起き上がり、家の片付けを始めてみたり、長湯してみたり、鏡に向かって顔面ストレッチをしてみたり、子供にやさしい言葉をかけてみたり、街の空気を吸いに出かけてみたり。
一気に心がスッキリして足取り軽く、鼻歌まで出る始末。
こうなるとこっちのもん。
私としてはこのポジティブキャンペーンの間に、いかに理想の大人に近づくか、その努力ができるかに掛かっている気がしていて、毎日を大切に人生を少しでも豊かにと空を仰ぐ癖をつけ過ごす。
今日も、ポジティブキャンペーン期間中。
自分の闇を吐き出し、さらに心が軽くなった。気がする。
このアウトプット作業をシラフでできたことは大きな収穫な気もする。
(※決してアル中とかでは無い)
親として、娘としてカッコつけたいから、人にはみっともなくてなかなか言葉にできないし。
でも少し吐き出せた。
次のネガティブキャンペーンがいつ来るのか不明だけど、その時はその時で。
とりあえず今日のところは
自己満足。
スッキリした♪
癒し飯
昔、ブラックな企業で朝も夜も無く働いていたことがある。
その頃は真夜中に仕事を終えて家族も寝静まっている家に帰るのが寂しくて、朝までやってるご飯屋さんによく行っていた。
仕事で心身共にダメージを受けた夜、行きつけの小さなイタリアンで牡蠣のグラタンを食べて泣いたことがある。
なんだか胃袋から辛い気持ちが浄化されるような感覚で
いい歳なのに、ご飯食べて泣くなんて自分でも信じられなかったけど・・・。
でも癒されたことには間違いない。
今はブラックとは縁を切り、自分の生活に追われている日々。
高齢の両親の夕飯を作り自宅に戻ると、子供たちもバイトや外出で不在。
我が家のことには気が向かず、ダラダラとしていると娘帰宅。
ご飯作る気が起きないとアピールしてみるも、スルーされる。
まぁそんなもんよね・・・とドライな親子関係に肩を落としつつゴロゴロダラダラから抜けられず。
娘はキッチンに移動するも、自分のダイエットメニュー(と、言っても納豆とか、めかぶとか調理するような程ではない)を鼻歌交じりに用意している雰囲気。
私は夜も更けてきたし、今日は夕飯抜きでもいいか・・・と諦めて間もなく
部屋の扉が開き
「これ、今夜の私のメニュー!食べます?」
と娘が小さなプレートを持ってきた。
意外と彩よく盛り付けられたお惣菜たちに思わず
「食べるぅ♪」と応えていた。
作り置き総菜込みだったけど、追加で作ってくれたお惣菜と食欲をそそるような盛り付けに感心。
が、すでにテッペン過ぎた深夜。
でも、なんだかあの日のカキグラタンを思い出し
娘からの癒し飯に感激し、
これは嬉しいご褒美だな~と心も胃袋もを満たされた幸せなひとときだった☆
あっさりラーメンの年頃
ラーメン食べたい
先月上旬から一応炭水化物を断っている。
しかし1ミリも痩せない。
食べたくなるのは白い米と、ラーメン。
食べたい。
でも我慢。
ラーメンでもコッテリ系は歳のせいかしんどい。
だから自分からは食べない。
少し前に、若い友達が間借り営業をしていた店を覗きに行ったら、まさかのコッテリ、ガッツリ系が出てきて焦ったけど完食。
でも食後もたれるもたれる・・・
やっぱりアッサリ系を欲する年頃です。
思い出すのは寒い冬の朝、築地場外の路上で食べたラーメン。
早朝の胃袋に沁みました♪
嗚呼食べたい。。。
冬の海鮮まつり
築地魚河岸市場へ🐟
殻付きの牡蠣を買いにいく目的だったのが、今彼の爆買いスイッチがONされ帰ってきたら祭り状態・・・。
今夜のメニューは
■北海道産ウニ
■てっさ(河豚刺し)
■河豚白子ホイル焼き
■アンコウ鍋
■生牡蠣(広田湾産/赤穂産)
■蒸し牡蠣
■鮑刺し
今日の初めましては「箱入りの河豚」
今まで見過ごしてきたのか、時間で出会えなかったのか、とにかく初めて購入。
開けてみるとしっかりした身が手厚く何重にも包まれて出てきました!
中は2段になって身とそれ以外に分かれて収まっていました。
これを家で3枚に下ろして我が家と妹家族におすそ分け。
メインはてっさ。
皮もコラーゲンがすさまじく、スーパーの河豚皮とはまったくの別物!
さっと湯がい水に取り、刻んでいただきました。
身も皮も臭みもなく、程よい弾力と甘みで大満足!
娘は生意気にてっさ大好きなので、嬉しそうに頬張っておりました。
家で食べれるなんで♪
さらに河豚の白子も・・・♡
小さいサイズを4つ購入しました。
今回の河豚三昧を食べた人数で割ると一人分1500~2000円程度!
お店で食べようと思ったら無理!
とっても嬉しい贅沢です。
但し・・・
今夜はほかにも。
一緒に頂いた日本酒も大事に寝かせておいた逸品!
フルーティーなのに喉ごしキリッとして品格と奥行きのあるお酒でした。
これはまた後日、詳しく・・・
こんな御馳走食べて、早死にするんじゃないかと小躍りする夜でした。